1stプロジェクト「アーティストと創る、新しい“偲び”の形」について、3回シリーズで語っております。(1)限りある時間を大切にし、精一杯生きる“いま“に光をあてる。(2)終わりの中にあるプレリュード性に着目し、”最期“という闇に光をあてる。この2つをお話ししてきました。そして、きょうは、(3)生きた証は、”未来“に光をあてるというお話をしてみたいと思います。
私の部屋に、武者小路実篤の名言「君は君、我は我なり、されど仲良き」の色紙があります。書家であった祖母の筆によるものです。奇しくもeach toneの社名と同じ意味を持ち、折に触れ、私を大切な場所に立ち返らせてくれるこの作品。祖母が亡くなってもう20年以上経ちますが、私は今でも祖母の教えに守られ、力をもらうことがあります。21世紀を見ることのなかった祖母が、21世紀に生きる私を、確実に支えている。この感覚に、いのちの計り知れない力を思うのです。
作家の司馬遼太郎は、晩年に「21世紀に生きる君たちへ」を記しました。「歴史小説を書くことで、2000年以上を生きてきたようだ」と称する司馬が、自身の限られた時間が21世紀に届かないことを思いながら、子供たちに「もし、『未来』という街角で、私が君たちを呼び止めることができたら、どんなにいいだろう」とつぶやく。そして、「いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構え」にふれた後、「君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた」と締めくくります。祖母と同じく、21世紀を見ることのなかった司馬遼太郎が、小学校の国語の教科書用に書いたこの熱いメッセージに、今でも励まされている方は多いのではないでしょうか?
あなたがここに居なくなっても、残された人々は、あなたが居たことで、心に光を灯すことができる。あなたが生きた証は、接した人を通じて、残した作品を通じて、遠い未来へ繋がれていきます。その意味で、限りあるいのちは、永遠なのです。
明日のブランドリリース、どうぞご期待ください。柿田京子でした。
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